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スタジオジブリの世界をもっと楽しみたい!
この記事は、上記の記事の補足記事です。ぜひ一度そちらに目を通してください!
スタジオジブリ作品の裏話や豆知識、また、作品の世界観の奥行きを何階層も深くする濃密な話をまとめています。これはあくまでも、
- 私が人生を自然に生きてきて集まった情報
- かつ確かな情報筋から集めたもの
だけをピックアップしたもの。やろうと思えば公式の本を買ったり映像作品を買ったりして更にこのページを強化できます。しかし、私は知識マニアではなく、あまり知識を追いかけない性格です。だって、全部知っちゃうと終わってしまうでしょ?私の実家は三鷹のジブリ美術館のすぐ近くなのに、2001年にできてから20年間、一度も行ったことがないんですよ。
余白を残すこともまた、私なりのジブリ作品の楽しみ方なのです。私の場合、なんとまだ『おもひでぽろぽろ』、『平成狸合戦ぽんぽこ』はまだ観ていないんです!
確かに最初は宮崎作品じゃないからという理由で観ていませんでした。しかしそれは子供の頃の話。その後、『耳をすませば』だって監督は彼じゃないことを知るし、
- 海がきこえる
- 借りぐらしのアリエッティ
- 思い出のマーニー
- 火垂るの墓
- かぐや姫の物語
- 猫の恩返し
- レッドタートル
を観た時は全て、
いい映画だったなあ!
と素直に感じました。だから絶対に楽しい!だけど、羨ましくないですか?『まだ観てないジブリ作品がある』って。この状態が続いてるんですよ僕は。うーむ、贅沢!『崖の上のポニョ』だって観るまでに数年間間を空けましたからね!
とにかく、こういう性格ですから徐々に私のペースでこのページが更新されます。お楽しみに!
さて、あなたはこの話、知ってますか?結構深いですよ?未成年にはまだ早いかも?何しろ、ジブリが皆の為に守っている境界線の『中』に潜って、こじ開け、その中身を覗こうというのですから、そこにあるのは子供向けではない。その場合、また大人になってからいつでも見ればいい。大人になっても楽しめる。それがジブリ作品の醍醐味でもありますよね!
この内容は本当に未成年には早いかもしれません。知識と経験と、人生の基礎を積んでいなければ理解できません。焦ることはない。先にすべてを体験したら後がつまらなくなりますよ。子供には子供の特権があります。今はそれを存分に楽しみましょう!
『風の谷のナウシカ』
宮崎駿の伝説の作品『風の谷のナウシカ』には有毒なガスを発する菌類の森、『腐海』と呼ばれる森に地球が覆われている様が、描かれています。そこには、『人間は地球の加害者だ』という宮崎駿の思いが反映されています。皆さんは『腐海』のモデルが何か、知っていますか?これは違う記事にまとめている為、詳細はそこで確認していただきたい。
『風の谷のナウシカ』の際にインタビュアーの斉藤由貴さんに『どうしてこういう作品を作ったのか』と聞かれたとき、彼はこう答えています。
『コペルニクス的転回というか、そういうのを狙ったんです。』
この言葉の意味を知るためには、コペルニクスがどういう人物か、そしてそれを言ったイマヌエル・カントがに関しての知識が無ければなりません。
また、宮崎駿は手塚治虫に大きく影響を受けています。とてつもない衝撃を受けたと。しかしアニメに関しては痛烈に批判し、逆に安心したと言います。
これで太刀打ちできる。
と思ったわけですね。そんな手塚治虫と宮崎駿は実際に縁があり、宮崎駿が手塚治虫の作品の手伝いをしたりしていました。そして1981年。実は彼らは合作アニメ映画を作ろうとしていたようです。題名は『ロルフ』。手塚治虫もそれに対し、
僕達はこの夢の実現を目指して、どんなに時間がかかっても成就したいと思っています。
とコメントをしています。それは結局叶いませんでしたが、その後、ロルフの企画は名前を変え、『風の谷のナウシカ』になっていったのです。
ナウシカも十分、伝説の映画となりました。ワンピース作者、尾田栄一郎はこう言っています。
僕は世の中にある物語で、「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」は2時間モノの作品では誰にも超えられないと思ってるんです。それぐらいパーフェクトなお話なんですよ。あれを作っちゃったら、もう自分でも超える意味がなくなると思う。
『ワンピース』や尾田栄一郎に影響を与えた歴史や作品を考える。
しかし、幻の作品 『ロルフ』は、今考えると日本が誇るアニメーターの2トップが作る、伝説の作品になったかもしれません。
ちなみに、鬼才スタンリー・キューブリックの映画『バリー・リンドン』のBGMは、ナウシカのBGMにそっくりです。下の動画がもし見れれば、『13~21秒』の部分。ナウシカはここから音楽が静まって、『・・ラン、ランララランランラン♪』と、久石譲の娘さんが歌うあの独特の歌声が流れますよね!
『天空の城ラピュタ』
ラピュタに関して、後述する『崖の上のポニョ』のパートにちょっとした裏話を記載しました。シータとドーラのことについてです。その件はそこでご確認ください。また、この作品を代表として一つ触れておかなければならないのは、ジブリ作品の『少女問題』です。例えばこの作品では、上記の画像にあるシーンで、『カキクケコ』たちがシータに惚れてしまうシーンがありますよね。
ドーラの部下たち。ポルトガル人のカ、エジプト人のキ、中国人のク、日本人のケ、セネガル人のコの5名。
これも『魔女の宅急便』のパートで後述しますが、彼女の年齢は13歳。そして彼らの年齢は30代程度となる。小説版では「素質を見込み世界中から集めた5人」という設定の彼らで、彼らはその多様な人種を考えても分かるように、ドーラの本当の息子ではありません。『ドーラ一家』というファミリーの中での、ゴッドマザーがドーラという立ち位置になる。
『風立ちぬ』の菜穂子が最初に出会った頃はまだ13歳。しかし、彼はプロポーズをする際に、『出会った頃から愛していた』と告白します。その時二郎は20歳。そして告白したときは30歳と、23歳でした。
『紅の豚』のポルコは35歳前後で、フィオは17歳。彼にはジーナという女性もいますし、終始ポルコは恋する乙女フィオを自分から遠ざけますから、年齢的に結婚もできるこの話の場合は特に問題視されないでしょう。しかし、子供に襲い掛かろうとするドーラの部下がいたり、やはり必ず一度触れなければならないのはジブリ作品に共通する『ロリコン』問題です。
しかし、皆さんは『ロリコン』と聞くと卑猥で汚らわしいイメージを持つのではないでしょうか。それは、世に存在する『児童ポルノ』的な、あるいは責任ある大人が無垢な少女たちを騙しハメるような、そういう残酷な事実が存在するからです。私もそういうyoutubeの動画を観たことがあり、とても不愉快になってすぐに然るべき場所に通報したことがあります。自分の子供じゃないからといって見て見ぬふりはしない、と、その時のTwitterに投稿しました。すぐに動画は削除されましたよ。
参考
インターネット・ホットラインセンターへの通報フォームインターネット・ホットラインセンター
では、ジブリ作品にそのような残酷で、汚らわしいイメージを持った人はいるでしょうか。いませんよね。ここで確認したいのが、下記の映画です。
まずは『ロリータ』。「ロリータ・コンプレックス」、つまり『ロリコン』とは、この映画の原作から生まれた言葉なのです。この設定も、カキクケコとシータとほとんど同じ年齢。鬼才、スタンリー・キューブリックの97年版は、制作中にアメリカの児童ポルノ禁止法が制定されたこともあり、アメリカより先にヨーロッパなどで公開されましたが、児童の性犯罪事件が問題化していたイギリス、ドイツ、ベルギーでは上映反対運動が起こり、62年版のこれでもカトリック団体からの抗議がありました。
映画界の鬼才。映画好きで彼を知らない人はいない。彼のポリシーは人間の生のカオスを描くことで、『ロリータ』の際も時代的に描きたい人間の本性を描けず、悔しがっていた。
しかし知っていましたか。そのカトリックが児童に対して性的虐待をしていた事実を。その真相は『スポットライト世紀のスクープ』で見ることができます。
カトリック神父という、極めて大きな影響力を持つ人間が、少年に性的虐待をしていた。ゲーガンという神父が、30年の間に80人もの児童に性的虐待を加えていたというのに、その扱いが極めて小さく、埋もれてしまっていた。つまり、そこには何らかの圧力が働き、真実が隠蔽されかけていた。これは、その真実を、勇気あるジャーナリストたちが命懸けで暴こうとし、奮闘する映画です。
『愛を読むひと』。これは、35歳程度の女性が、15歳程度の少年と関係を持つ物語です。そして『あるスキャンダルの覚え書き』。これは、メアリー・ケイ・ルトーノーという女性の話をベースにした実話です。彼女は未成年の生徒と関係を持ち、2人の娘を妊娠・出産します。彼女はその罪で懲役7年の刑を受けましたが、その後この生徒と結婚しました。
これらすべての『ロリコン話』の共通点は、『実際に関係を持ってしまう』ということ。だからそこに汚らわしさがつきまとい、どうやっても好きになることはできない。もちろんそういう類の味方は大勢いますが、それを遥かに上回る人の数がいるのが、反対派の人々です。そしてそっちの方が健全に見える。
ただし、『あるスキャンダルの覚え書き』のその最後の話はどう思うでしょうか。『生徒が成人して、自分も懲役を受けた後に結婚した』。その話を聞くと、
本当に愛し合っていたんだ。
という感情が浮かび上がりますよね。人には、超えてはいけない一線があります。前述した例は、それを超えてしまった人たちの話。そしてこれはある程度共感できる人がいる宋に向けた話なだけであり、実際には『もっと超えてはいけない線を越えた人』は大勢いるのです。
- もっと超えてはいけない線を越えた人
- 超えてはいけない線を越えた人
- 超えてはいけない線を越えなかった人
このように考えてみましょう。下に行けば行くほど、健全に近づいているように見える。
ジブリ作品で実際に超えてはいけない線を越えたキャラクターは存在するでしょうか。カキクケコのシーンは危ない。しかしあそこはとてもコミカルに、ギャグのワンシーン的に繰り広げられますよね。そして結果的に一線を超えたということはなく、その後彼らはシータに対して『一線を守ってアイドル的に惚れていく』というスタンスを守り続けます。
挙げた映画の人たちはギャグではなく、極めてシリアスです。そして、二郎も彼女が成人してから結婚を申し込んでいる。メアリー・ケイ・ルトーノーも、もしもう少し時をも待つことができたら、彼女と、そこにあった恋に対し文句を言う人は誰もいなくなるのではないでしょうか。
二郎は最初から13歳の菜穂子を愛していた。確かにそう言いました。そこにどういう感情があったかはわかりません。しかし、彼の顔に汚らわしさはなく、爽やかで、彼女に『つけ入ることもできた』震災の手助けの際は、助けるだけ助けて、恩を着せず、自分の名前すら明かさずそこを立ち去りますよね。それは、ポリシーと、矜持がある人間の立ち居振る舞いです。
普通、そういう人は『一線』が何か、熟知している。
誇り。プライド。
『崖の上のポニョ』のパートで後述しますが、宮崎駿は『~コンプレックス』という概念に支配されない生き方をしているように見えます。カキクケコたちは、ドーラのことを『ママ』と言って、ママの若い頃にそっくりだからという理由で、その洋服など全体的な雰囲気で、シータを好きになります。間違っても、最初にシータに出会ったとき、
しめしめ!こいつは俺たち好みの少女じゃないか!
と思ったわけじゃない。だとすると彼らはロリコンというより『マザコン』。しかしドーラは本当の母親じゃないので、マザコンにも該当しない。このあたりが中々絶妙に展開されるところで、結局彼らは何の一線も超えないまま、いい友人としてパズーたちと絆を結び、清々しく別れる。
『~コンプレックス』の更なる詳細はそこでもう一度考えましょう。ここでは、ジブリ作品が『結局一線を超えたことは一度もない』という事実と、『この世には堂々と一線を超えた人たちが大勢いる』という事実をお伝えしたい。
『となりのトトロ』
『となりのトトロ』の名前の由来は、金曜ロードショーの公式Twitterでも投稿されていました。『所沢にいるとなりのオバケ』が短くなったものだということですね。その他にも、その他にも、これは公式発言で見た情報ではありませんが、宮崎駿の知り合いの女の子が 「所沢」と言う地名を言えず、「トトロザワ」と言ったことに由来しているという話もあります。
トトロの名前の由来は、「所沢にいるとなりのオバケ」が短くなったもの。宮崎駿監督によると「すぐに愛想を振りまいたり、目をキョロキョロさせたりする、そういうキャラクターではない」のだとか。原型になっているのは、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」のあるシーン。→続く pic.twitter.com/f4vhEWhqi8
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) August 17, 2018
下記の本『トトロの生まれたところ』を読めば、トトロが生まれた所沢の自然豊かな環境に触れることができます。
Book:info
ちなみに、このトトロのポスター、どこか変ですよね。そう。メイでもサツキでもない。謎の少女が一人で傘をさしています。一体この人は誰なのでしょうか。
実はこれ、『サツキ』なんです。最初、トトロにはサツキしか登場しなかった。しかし、作品を長くするために、姉妹の物語に。姉妹にすればそこで色々ないざこざが起こって話が長くなる。そういう理由で追加されたキャラクターが、メイだったんです。結果、メイはサツキを映えさせる存在となり、かつ物語の中心人物になり、大勢のファンを獲得しました。
ちなみにサツキたちの家の近所と思われる埼玉県所沢市の松郷は、私の職場の取引先があった場所で、そこへ行くときはいつもトトロのことを思い出していました。
『火垂るの墓』
『世界のクロサワ』こと黒澤明は、『火垂るの墓』を見て感動し、宮崎駿に手紙を送りました。しかし、これを作ったのは彼の盟友の高畑勲。宮崎駿は複雑な心境だったと言います。
映画界の巨匠、黒澤明は『羅生門』でヴェネチア国際映画祭、『影武者』でカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞。国内だけではなく世界的にも名を馳せた『世界のクロサワ』は、後世の映画に多大な影響を与えました。
そんな黒澤の映画への長年の貢献を賞して、1990年、米アカデミー賞・特別名誉賞が贈られます。あの、映画界のトップである、スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスの2人からオスカー像を渡された黒澤が、授賞式でスピーチとして残したのがこの言葉です。
『私はまだ、映画がよくわかっていない。』
彼はその二人にも尊敬されていました。黒澤明という男は映画の鬼で、演出に適した天候が来るまでひたすら待つこともあれば、映画内で読まれない封筒の中の手紙の文章までスタッフに作り込ませたこともあった。『蜘蛛巣城』という映画では、ラストに主人公の三船が無数の矢を浴びるシーンがあるのですが、このシーンは実際に三船やその周囲めがけて本物の矢を射って撮影したといいます。いや、確かに私も
これはどうやって撮影してるんだ・・
と思いながら観ていたのですが、まさか本当に射ていたとは思いませんでした。
同じように『乱』という映画にも似たような話があります。
下記の海外の専門家が分析した字幕付きの動画では、黒澤映画と『アベンジャーズ』を比較し、後者を酷評しています(5分ごろ)。それだけ、黒澤明という人物はクリエーターとして世界的な一流なのです。(私はアベンジャーズも大好きです)
その彼に褒められたのですから、高畑勲の手腕は相当なもの。そして、宮崎駿は複雑だったでしょうね!
しかし、この作品は本当に見応えがありますからね。私はこの作品がまとう妙な負のオーラに押し負け、これを観るまでに本当に時間がかかりましたが、いざ観てみると、私はこの映画を今まで観なかった自分が、ただただ未熟なだけだったと思い知りました。
この映画は野坂昭如(のさかあきゆき)という人物の実話が基になっていて、まあこの人物も相当破天荒な男でした。ビートたけしやデヴィッド・ボウイが出演する『戦場のメリークリスマス』の監督で有名な大島渚は、彼にテレビカメラの前で顔面を殴られています。彼がニコニコと人目を意識して握手で迎えたところ、野坂さんはそれを無視してボカン。衝撃的な映像ですね。
更に、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』に出演した時は、浜田雅功と殴り合いの喧嘩をしています。グーで。この男は、そういう男なのです。
しかし、それくらいのことをやる度胸はついているはずだと、この映画を観ればわかりますよね。これが彼の実体験だと考えれば、それくらいのことは何でもない。あまりにも波乱に満ちた壮絶な人生を生きたのですから。
ちなみに黒澤明の『七人の侍』は鈴木敏夫さんお気に入りで、ご自身の職場に常にこの写真が飾られているとか。
ジブリの試写室入り口には、映画『七人の侍』の、志村喬さん演じる勘兵衛の写真が飾られています。鈴木さんのお気に入りで、れんが屋にも同じものが。 pic.twitter.com/tl8ksIWL6N
— スタジオジブリ STUDIO GHIBLI (@JP_GHIBLI) March 2, 2021
『魔女の宅急便』
『魔女の宅急便』で、キキが黒猫のジジと会話をしています。あれはキキたちが魔女であるという設定上、何ら不思議なことではありません。しかし、私はいつかネット上で『宮崎駿の公式な発言だが、あれは全部キキの妄想である』というテキストを見たことがありました。その信憑性は高そうで、宮崎駿の書いたと思われるテキストと共にそれが投稿されていました。
今回もう一度調べてみました。すると、やはりそうだったようですね。
このことについて、鈴木敏夫プロデューサーは次のようにコメントしています。「(ジジは)ただのペットじゃなくて、もうひとりの自分なんですね。だからジジとの会話っていうのは、自分との対話なんです。⇨続く pic.twitter.com/fQx5MawoFC
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) January 22, 2016
『魔女の宅急便』公開時の宮崎監督のトークショーで、『なぜジジの言葉をキキは分からなくなってしまうのか』と質問され、こう言っていたそうです。
宮崎駿
したがって、最後のシーンで『キキは大人になった』という事実を演出するため、ジジは喋らなかった。あるいは、何かを喋ってそれに反応して頬をこすりつけているのを見ると、やはりその時も喋って、見ている我々の方に向けた演出として、
『ジジは最初から喋っていなかったんだよ。キキを客観視するとこうなるんだよ。でも、13歳の彼女は、例えば女の子がぬいぐるみに語り掛け、夜はそれを大切そうに抱いて眠るように、そんな”友達”と一緒にこうして一つずつ、現実世界で大人になっていくんだよね。』
と説明したかったのかもしれません。
ジブリ作品のキャラクターの年齢
4歳
- メイ (となりのトトロ)
- 節子 (火垂るの墓)
5歳
- ポニョ(崖の上のポニョ)
- 宗介 (崖の上のポニョ)
10歳
- 千尋 (千と千尋の神隠し)
12歳
- サツキ(となりのトトロ)
- カンタ(となりのトトロ)
- 翔 (借りぐらしのアリエッティ)
13歳
- シータ(天空の城ラピュタ)
- パズー(天空の城ラピュタ)
- キキ(魔女の宅急便)
- ジジ(魔女の宅急便)
14歳
- 清太 (火垂るの墓)
- トンボ(魔女の宅急便)
- 月島雫(耳をすませば)
- 杉村(耳をすませば)
- アリエッティ(借りぐらしのアリエッティ)
15歳
- 天沢聖司(耳をすませば)
- サン(もののけ姫)
16歳
- ナウシカ(風の谷のナウシカ)
17歳
- フィオ(紅の豚)
- アシタカ(もののけ姫)
- ハル(猫の恩返し)
18歳
- ソフィー(ハウルの動く城)
- 月島 汐(しお)(耳をすませば)
19歳
- ウルスラ(絵描き/魔女の宅急便)
『紅の豚』
『肥えたブタではなく、痩せたソクラテスになれ。』
皆さんはなぜこの言葉がここに載るか、説明できるでしょうか。では、『紅の豚』のポルコが豚である理由や、彼が自画像を描くときに描く豚は?実は、最初はその理由を鈴木敏夫が聞いたとき、宮崎駿は怒ったと言います。
宮崎駿
そして渋々、ジーナのあの『魔法』というセリフなどが追加されます。しかし、このあたりは深いんですね!皆さん、宮崎駿は哲学者ですよ。表層に全部出てないんです。そして表層に出ないと言ったらこの映画の裏話です。
当時、『フック』というスピルバーグ監督の名作が上映されていましたが、紅の豚はこれを超える約28億円の売り上げを作った。これは前作の『魔女の宅急便』に続いて劇場用アニメ映画の興行成績日本記録を更新する記録でした。しかしこの達成の裏には『配給』という重要な要素の鍵があったと言います。
映画成功に欠かせない4つの要素
- 企画
- 製作
- 宣伝
- 配給
この4つの要素のすべてがなければ映画の成功はあり得ないのです。その時ジブリの為に動いてくれた有力な映画関係者がいたんですね。そしてもちろん、鈴木敏夫という名プロデューサーが必死に動いた。
そういう見えない要因が積み重なり、宮崎駿の群を抜く創造力、鈴木敏夫の巧みなプロデュース力、盟友高畑勲との切磋琢磨、糸井重里の作る秀逸なキャッチコピー、久石譲の壮大な音楽、私たちが名前までは知らない、宮崎駿が信頼するジブリ関係者全員の優秀な働き、そしてもちろん彼ら彼女らを裏で支えたご家族などの支えらと相まって、確固たる地位を築いてきたのです。
ちなみに、ジブリが映画界から期待されたのは『もののけ姫』からだと言います。
ポルコが豚である理由は一体何なのか。なぜジブリの絵にはいつも豚が登場するのか。そこには深い意味があったのです。
『ファシストになるくらいなら、豚の方がマシさ。』
『紅の豚』のまさにこの画像のシーンで、ポルコがこう言うシーンがありますよね。では、『ファシスト』、『ファシズム』とは一体何か。そして、この映画の時代である『世界大恐慌(1929~1939年頃まで)』とは一体どういう時代だったのか。それらについて、以下の歴史記事でおさらいをしましょう。
また、同時代にあった世界的な歴史には何があったか、映画作品で観てみましょう。
1929年『その男、キング牧師』
Movie:info
1929年頃『吃音症に悩まされたイギリス王』
Movie:info
1933年『社会の敵ナンバーワン』
Movie:info
また、世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライド(上記写真)の、出会いと逃走を描いた犯罪映画である『俺たちに明日はない』は有名です。その他世界恐慌時代は、上記の映画を含め、
といった多くの映画が存在し、そのうち上記太文字の6つは実話ベースの映画です。リンク先は全て感想文へと繋がっているので興味がある方は覗いてみてください。
ほとんどが、大恐慌時代にあった禁酒法時代に、こっそりと酒を売って大儲けしたり、銀行強盗したりと、社会の影で暗躍するアウトローたちの物語です。そんな歴史と照らし合わせて考えると、ポルコがいた時代、そしてピッコロの上に山積みにされた『紙切れ同然の紙幣の山』、『ガス代を高く取る少年』、そして『マンマユート』などの心優しき盗賊たちの意味が見えてきます。
ファシズム、大恐慌、この時代は大きな大きな圧力がそこかしこで巻き起こっていた。しかしポルコはなるべくその世界で、一線を超えるような真似はせず、持ちつ持たれつの人の関係性を大切にし、義理人情を重んじながら、孤高に生きたのです。ですから私は2000本観た映画の中で『孤高編』のジャンルランキングの2位に、この映画をランク付けさせていただいています。
ちなみに1位は人気投票で厳選映画300作品のうち、3位を獲った映画でもある『ダークナイト』です。
「カッコイイとは、こういうことさ。」
『耳をすませば』
タレントの本上まなみさんは、2001年にこの映画に対してコメントをしています。その一部にはこうあります。
『これはいったい、どうなんでしょう?主人公は二人とも中学3年生ですよ。丘の上で、美しい朝焼けを見ながらのこのセリフ。しかも、ひし、と抱きしめちゃったりして・・こちらも縮みあがってしまうではありませんか。もう私はこのシーンが恥ずかしくて恥ずかしくて。映画館でもビデオでも何回か見てきた映画ですが、何回観てもラストが近づいてくるとドキドキしてしまうのです。おしりがむずむずしてくる。思えばこんな恥ずかしい気持ちにさせる映画って、『耳をすませば』以外にないよなあ。』
これは、前述した『ラピュタ』のパートから続けて考えたいところです。誰もが彼女と同じような感想を抱きます。女性は雫に共感し、天沢のような男性に理想の男性像を見出す。男性は中学生でもう自分の夢を見つけ、『結婚』という大きな責任から背を向けず、純粋に愛を追求する彼に、嫉妬と羨望の眼差しを向ける。私なども
ちっ、負けるかよ
と思ったものです。ラピュタからのパートで考えた時、しかしここでも一線は守られる。ドキドキしても、ムズムズしても、恥ずかしくっても、彼らは一線を超えない。年齢は低い。子供に対してメッセージを送りたい。だからこそ、絶対に守らなければならない一線がある。そういうことがよくわかる映画が、この作品ではないでしょうか。
その意味で、この映画の存在価値は高く、重い。重要である。文字通り『要(かなめ)』となってこれを観たすべての視聴者の人生に『重く』食い込む。
物事の最も大切な部分。
つまり、
彼らが守っている一線と、大事にしている大切なものを、俺(私)は、こうも簡単に踏み外し、あるいは捨ててしまっていいのだろうか?
こういう声が、『心の要』となっている部分から湧き出てきて、我々を真っ当な道へと、『矯正』してくれるのです。
それで考えれば『カントリーロード』の存在も極めて大きな『要』となっています。二人が歌っている時にセッションとして途中から加わるおじいさんたち。あのシーンが尊いのは、あの音楽はもう二度と聞くことができないからです。あれは、偶然作られた音楽。次に彼らが揃って奏でた音楽には、偶然性がなく、すると必然的に希少性に欠け、音楽的な『アウラ』の価値が劣ることになる。
一度きりの要素。例えばこの人生はアウラである。
ドイツの小説家、トーマス・マンは言いました。
我々はこのアウラ的価値の尊さを身に染みて理解している。だからこそ、あのシーンにあった、
- 音楽というアウラ
- 物語というアウラ
- 青春時代というアウラ
- 偶然性のアウラ
という様々なアウラに触れ、我々の心は、強く揺り動かされる。そこでスイッチが入り、最後の最後でもう一度あの音楽が雫の歌声として流れ、目の前に現れる『結婚というアウラ』、『人生というアウラ』、そして、朝焼けという壮大な大自然を前にして体感できる一切の『森羅万象のアウラ』がエコーがかった歌声とリンクし、我々の命が一つになり、まるで何かに共鳴するように、大きく揺り動かされるのです。
あらゆる現象、宇宙に存在する一切のもの。
音楽のアウラ性や、その尊い価値を知るためにうってつけの映画・映像作品があります。それは、Kinki kisdsの堂本剛主演、『平安結祈(へいあんゆき)』です。
京都・平安神宮で2011年9月2日から4日にかけて行われたコンサート・ムービーで、東日本大震災に見舞われた日本を筆頭に、世界各国がさまざまな国難に直面するなか、あえて日本の中心地であった古都・京都で幻惑的で荘厳な演奏が繰り広げられます。私はこれを映画館で観ましたが、
音楽って、本当はこういうものなんだよな・・
と感慨に浸りました。平安神宮でコンサートが行われるのは異例ですが、それだけの厳かさがそこにあった。
実は私はこの時ぐらいから、カラオケに行ってないんです。兼ねてからカラオケで適当に歌いたい流行の歌を歌い、その最中に友人が次に自分が歌う歌を本で探している。こういう雑な音楽の扱い方に、疑問を持っていました。私はこの映画を観て、音楽というものは元々『アウラ』であり、とても厳かに扱うべきものなんだと悟り、カラオケでその音楽の価値を落とす様なことはもうしたくないと強く決意したのです。
更に、この『カントリーロード』をこの作品と同じくアウラ性を持ち、魂を削りながら歌うシーンが見れる映画があります。まだ観ていない人は絶対に観た方がいい。それは、『キングスマン:ゴールデン・サークル』という映画です。
これは『キングスマン』の2ですから、できるならそこから観た方がいい。この映画は映画ファンの間でも非常に人気が高い。それは、爽快なアクションで気軽に見たい人のニーズを満たしていることもさることながら、『ゴールデン・サークル』で見せた、ある男の命の使い方が、カギを握ると言っていい。それは、下の動画のサムネイルで見える、右のスキンヘッドの方のとった、ある行動でした。
我々は、『耳をすませば』でカントリーロードの潜在能力を思い知り、それが『要』として心底に植えつき、人生の様々なシーンで我々に生きる道を暗に教えてもらうようになった。そんな我々だからこそ、この映画のあのシーンで何も感じずにはいられないのです。いやあ、映画って本当にいいものですね!
ちなみにこの映画のモデルとなった聖蹟桜ヶ丘の場所は、私の部下の実家があるすぐ近くです。
『もののけ姫』
宮崎駿は2019年1月末、「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」という講演会の中で『もののけ姫』(1997年)について語りました。「ハンセン病をモデルにしている」「東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で構想を練った」ことを公式に認め、「『業病(ごうびょう)』と呼ばれる病を患いながら、それでもちゃんと生きようとした人々のことを描かなければならないと思った」と語っています。
先ほど『表層に出ない』と言いましたが、彼がこの作品のテーマにハンセン病が関係していることを公式に認めるまで、実に22年の時間がかかっているんですね。彼がどれだけここで見た光景を大事にしてきたかということが、その時の下記の動画で分かります。
彼は、スタジオジブリと強いかかわりがある『ニコニコ動画』で有名なドワンゴの川上氏とのやり取りで、『不愉快だ』と激昂したことがあります。それは、川上氏が持ってきた『うねうねと動くゾンビのようなCG映像』を見て、自分がかつて見た重い病人の人々を思い出してしまったからです。
そこにはテレビカメラがありました。だから、それを見て彼がどう発言するか、その公の責任を意識して厳しめに言ったかもしれません。氏に悪気はなく、その技術を作品の何かに使えないかと提案しただけでした。宮崎駿もそれはわかっていました。わかっていて、激昂しました。淡々とですけどね。自分がここで怒ることの延長線上には、彼がいつか見た鮮烈な光景と、その張本人たちがいたのかもしれません。
ちなみに、以下の写真は私が撮った世界遺産『白神山地』と『屋久島』です。もののけ姫の世界のモデルとなった場所ですね!
かつて、645年(大化の改新)以前の話です。中大兄皇子が天武天皇となる前の斉明天皇のとき、以下の3つのエリアが問題となっていたました。
- 東北の蝦夷(えみし)
- 南九州の隼人(はやと)
- 朝鮮半島の百済(くだら)
百済については下記の記事に詳細を書きましたが、最初の二つはただ『未開拓エリア』です。この地をどのように征服し、支配下に入れるかということがテーマとしてありました。それが元明天皇、藤原不比等の時代に、この未開拓エリアの蝦夷、隼人に対して征服活動が行われ、支配領域が拡大します。
だが、蝦夷はまだまだ一筋縄ではいかなかった。蝦夷や隼人の共通点は『都から遠い』ということですが、現在のように、車も電車も飛行機も無い時代、やはりここまで距離が離れてしまうとそのエリアを掌握するのは容易ではなくなるということも理由の一つでしょう。しかし、隼人に関しては720年、つまり元明天皇、元正天皇の時代に反乱を起こすも『征隼人持節代将軍』の大伴旅人に鎮圧され、その後反旗を翻すことはなかったといいます。
奈良時代の貴族・歌人・大納言。56歳で隼人の反乱を鎮圧する持節代将軍になり、60歳で大宰府の長官を歴任。
飛鳥時代の斉明天皇(645年頃)の時、阿倍比羅夫(あべのひらふ)を派遣してヤマト政権の東北支配の拠点となる城柵や城を築城し、日本海側の蝦夷を征服し、ヤマト政権の新たな行政区分である『出羽国』を設置。そして元明天皇の時代にも征服活動をしますが、それは『日本海側』だった。
反対側、つまり『太平洋側』にも蝦夷はいた。そして蝦夷は、ただ遠いというだけではなく、中々に厄介な存在だった。族長『阿弖流為(アテルイ)』の力が強く、勢力は拡大し、強大化していたのです。そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を『征夷大将軍』に任命。つまり、先ほどの隼人対策の将軍と合わせればわかしますが、
- 征隼人持節代将軍
- 征夷大将軍
これらは『隼人を征服する』、『蝦夷を征服する』ための将軍だったのです。ここから『総大将』的な意味でよく使われる『征夷大将軍』の名が誕生したんですね。
789年、征東将軍紀子佐美(きのこさみ)率いる漢軍がアテルイによって潰されると、801年、征夷大将軍坂上田村麻呂は、4万もの大軍を率いて東北に出兵。しかし、アテルイは一歩も引かず、対抗したという。そこで田村麻呂は、蝦夷と同化政策を推し進め、様々な角度から征服を画策。そしてついにアテルイは、蝦夷の指導者磐具公母礼(いわぐのきみもれ)とともに降伏。田村麻呂は彼らの助命を願うが、2人は河内で処刑されてしまった。
ジコ坊が主人公のアシタカにこう語りかけるシーンがあります。
ジコ坊
アシタカ
アテルイが倒された後の蝦夷の残党は、山内深く隠れ里にひっそりと暮らすより他はなかった。そこには、古の因習や独特の文化が残っていて、彼らはアニミズムの考え方と共に生きていた。これは間接的に知った情報で確かではありませんが、宮崎駿いわく、アシタカはアテルイの部族の末裔であるとか。
しかしだとしたら、彼のあの勇敢な生きざまにも合点がいきますよね!
『千と千尋の神隠し』
湯婆婆の声をやっていた夏木マリは、宮崎駿にこう言われたようです。
宮崎駿
この感じからすると夏木さんは最初、もう少し意地悪な婆さんを演じていたのかもしれません。そして、この助言以降に生まれたのが、あの『表面は厳しい婆さんでも、そう悪い人じゃない』という湯婆婆が誕生したわけですね!
また、私もこれは兼ねてからずっと、密かに思い続けていたことではあったのですが、ある時wikipediaを調べてみると、湯婆婆の欄にこうありました。
魔女を名乗るだけあり様々な魔法を使うことが出来、手を触れずに対象物を動かしたり、鳥に変身して空を飛んだり、光の弾を放ったりしており、絵コンテには「(ドラゴンボール風)」との走り書きがされていた。
この絵コンテは私も全部持っているのですが、本当に『ドラゴンボール風』と記載してあります。私はドラゴンボールも大好きですから、あのシーンを見た時ちょっとそれを感じた。
もちろん、嬉しい印象でした。ドラゴンボールで感じていたワクワクするシーンと同じワクワクが、あのわずかな時間に存在したからです。宮崎駿が他の漫画作品について触れるところをあまり見たことがありませんから、何だか嬉しい話ですね!しかも自分の作品にそれを取り入れるんですから、これは貴重な話です。
事実、『風立ちぬ』の際の引退会見の際に、『クールジャパン』について質問されたときのことです。
クールジャパンの具体例としては、 映画・音楽・漫画・アニメ・ドラマなどのポップカルチャーやゲームなど言った、日本のサブカルチャーなどのコンテンツを指す場合が多い。
記者が、『引退後、自分の後を継いでクールジャパンを牽引する人は誰か? 』というような質問をした時、彼はこう言っていました。
宮崎駿
この発言は例えば、『実際には見ているが、誰かという特定の人物を挙げると、挙げられなかった自分の息子や近しい存在に悪い』という彼の配慮だったと捉えることもできますし、色々な解釈ができます。確かに彼は『浮世離れしていていい』と公言していて、『流行を追おうなんて思わない』とも言っています。浮世から離れているからこそ、浮世離れした群を抜く作品が作れる。
流行の渦に触れなくても、その根底に断固として存在する『真理』は堅固です。それを中心として、子供を意識して分かりやすく展開すれば、大勢の人が安心してアニメを楽しめますからね。
『ハウルの動く城』
宮崎駿が2013年の『風立ちぬ』公開の際の引退会見を行なったとき、『最も自分の中にトゲが残っている作品』として挙げたのが、この作品です。私もそれを見ていたのですが、断片的にしか見ておらず、短絡的発想で恣意的推論をしてしまいましたね。
物事を深く考えずに、すぐに原因と結果を結び付けてしまうこと。
自分勝手に(こうだろう)と解釈すること。
なぜ私が短絡的発想による恣意的推論をしたかというと、私はハウルがあまり好きになれなかったからです。一番は声優で、声優さん自体に怒っているわけではないんですが、倍賞さんがソフィの若い頃の声をやるのは無理があるように見えます。まるで、映画の宣伝の為だけに知名度だけで選ばれたエゴの強いタレントが、見栄に支配されて世界観を壊してしまっている、そんな状況と同じ感覚を得ました。
何度も言いますが、倍賞さん自体に文句はありません。一生懸命声をやっているのが伝わるからです。
だから、宮崎駿もきっと『キムタク』という知名度の採用だったり、倍賞さんのそれという、その部分に問題があったことを自覚しているのだと、安心したのです。そして、確証バイアスに支配されて、私は短絡的発想による恣意的推論をしたわけですね。
自分の考えが正しいと思い込みたいから、自分の考えに近い話だけを集めようとする行動。バイアス=思い込み。
しかし、実際には彼がトゲとして刺さっていたと発言した理由はそういうところではなく、むしろ『もっと高く評価されると思った』という、理想と現実のギャップの激しさに憤慨したという背景が関係していたようです。『殴りにいこうと思った』という発言をしているくらい、酷評した人に憤慨していたとか。
しかし、これは後述する『ポニョ』の話にも出てくることですが、彼自体がこの作品の製作中『迷子になってしまった』とか。彼自身のポリシーで『説明する映画は作らない』というものがあるのですが、そのポリシーと彼の制作の際に起こる『想像重視の創造』が相まって、かなり視聴者側が困惑するような内容になってしまったようで。
庵野英明と同様、スタジオジブリに縁がある押井守は、ハウルに対しこう言っています。
「男のダークサイドを宮崎駿が初めて描いた。ストーリーは無茶苦茶だが表現は円熟している」
彼はそう言いつつも、ハウルがジブリ作品で一番好きと言っているようです。このように、玄人の目から見てもかなり混乱しているようで。私は、自身が感じた『声の違和感』と、そうした混乱に迷い込んだことが相まって、この映画に高い評価をつけられなかったのかもしれません。
しかし真っ二つに分かれるようで。ハウルのファンはとても大勢います。これもジブリ作品の強いところですね!私はジブリ作品をTwitterで全シーン描くチャレンジをしていますが、そこにハウルを入れているのは、その大勢のファンの為です。
『崖の上のポニョ』
また『崖の上のポニョ』は最初は宮崎駿がこう言ったところから始まったそうです。
宮崎駿
しかし、彼はスタジオジブリの隣にある『3匹の熊の家』という保育園を開園。兼ねてから夫婦の夢でもあったこともあり、彼はそこの初代園長に。しかし、それで夢を叶えた彼は何と『崖の上のポニョ』の制作の途中なのに、
宮崎駿
と言ったそうです。何とも彼らしい朝令暮改。
命令や政令などが頻繁に変更されて、一定しないこと。朝出した命令が夕方にはもう改められるという意から。
彼のこうした性格は昔からだそうで、鈴木敏夫はこう言っています。
鈴木敏夫
普通の人ならそうした性格を真に受け、断片的に解釈して『勝手な人』だと言いますが、鈴木さんほどになると関係の深さが違いますからね。彼のその他の面も熟知している。したがって、総合的な判断をするので、その行為を単に身勝手な行為だとは受け取らないんです。そうした性格の人だからこそ、できるものがある。それに任せて、作られた資産がある。そういうことを知っているからですね。
しかしそのおかげでポニョの製作は先行きが怪しくなります。『フジモト』も最初はいなかった。途中から、保育園の話を超越した話へと変わっていくのです。こういう朝令暮改的な『つじつま合わせ』は彼の十八番だそうで、『千と千尋の神隠し』の時も、実は最後の最後まであのカオナシの実態は自分でもよくわかっていなかったとか。
特集で彼の絵コンテのテキストを見てナレーターがそこをピックアップするのですが、下記の千と千尋の絵コンテにも、確かにそう書いてあります。
『お化けか妖怪か神様 ユラユラ~と通過していく』
しかしそれを全てつじつまを合わせて、何の違和感もなく物語を完成させるのですから、これが彼の凄いところです。悪くは言いませんが、彼の弟子的な位置にも当たる『アリエッティ』の監督で有名な米林宏昌が独立して一発目の映画『メアリと魔女の花』では、違和感が多かった。だから私はあの映画を観た時素直にこう感じましたね。
宮崎駿ってのは、やっぱり凄いんだなあ。
私はアリエッティもマーニーも大好きなので、彼には期待しています。
ちなみに、ポニョのあの有名な音楽は、
宮崎駿
として、宮崎駿が考え始めました。そんな中、あの男がまた動き出します。鈴木敏夫その人であります。そもそもスタジオジブリの初期メンバーはこうです。
スタジオジブリ初期メンバー
- 宮崎駿
- 高畑勲
- 鈴木敏夫
宮崎駿の盟友『アンパンをいつもパクパク食べていた』ことから『パクさん』という異名をつけられた男こと高畑勲と、プロデューサーを請け負う鈴木敏夫、そして宮崎駿という三人だった。
『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』、『平成狸合戦ぽんぽこ』、『かぐや姫の物語』などで有名。
鈴木さんは、兼ねてから目をつけていた藤岡というユニークな人物と、ポニョの声は落ちたけれど、賢さが漂っていた大橋のぞみちゃんに目を付けます。しかし、これは彼の独断で行っていたようで、ある時録音中に宮崎駿が入ってきて、『なにやってんだ』と言うわけです。鈴木さんが適当に取り繕うと、
宮崎駿
と穏やかではない。(こりゃまずいかな)と思って録音が終わると、何と宮崎駿の意見が一転。
宮崎駿
ジブリの世界は案外こういう展開で決まっていくことが多いとか(後述『風立ちぬ』も参照)。音楽を作った久石譲も、実は最初は(これは違うんじゃ)と思っていたようですが、いざ始まってみると、『鈴木さんが彼女らに決めた理由がわかりました』と言ったと言います。
音楽は、時に奇跡を生みます。『一発屋』などとネガティブな言葉がありますが、あれは言い方を変えれば、『奇跡的に生まれた音楽』、あるいは『音楽の奇跡』ですよね!
さて、ポニョの話に戻りましょう。実は、彼の作品の根幹には常に『母親』がモチーフになっているようです。
芸術分野において創作の動機となる思想や題材。
- トキさん(崖の上のポニョ)
- シータ(天空の城ラピュタ)
- ドーラ(天空の城ラピュタ)
これらは彼にとっての母親像の延長線上であり、更にシータはいずれドーラになるという彼の想像があるそうです。その証拠に、ドーラがシータに服を探している時に映る彼女の部屋に、ドーラの若い頃の写真がありますね。シータにそっくりだと皆が知っているあの写真です。
『へ?ママのようになるの?あの子?』
実は、やはりポニョにおけるトキさんらは、死んでしまっているようですね。それがもしかしたら、『風立ちぬ』で彼が引退すると言ったことに繋がっているのかもしれません。私は、彼の度重なる引退発言は、鈴木さんの巧みな経営戦略の一つだと考えていました。しかし、どうもこの宮崎駿という人物を探っていって包括的に考えていくと、朝令暮改のそのポテンシャルといい、いささか宣伝の為の戦略的引退発言とは言い切れそうもない。
彼はある日突然、鈴木さんにこう言ったそうです。
宮崎駿
73歳というのは彼の母親が亡くなった年齢でした。彼がいつも大事にしてきて、自分の作品にまで投影させるほどの強い影響力を持っている母親という存在。そして、風立ちぬが公開された時の宮崎駿の年齢が73歳。こういうことを考えると、本当に彼は引退を考えていた可能性が浮上してきたのです。
ポニョが公開されたのが2008年。2006年頃から製作が始まりますが、実はその頃から2013年のその時期をどう乗り越えるかと、彼はいつも悩んでいたようです。ですから、その時期に作ったポニョの世界観にもそれが大きく影響し、途中からポニョや宗介は完全に放っておかれていたとか。自分が見たい天国的な世界を延々と描き続け、鈴木さんに注意されて真剣に話し合い、初めて我に返って、途中からまたポニョの物語の完結を達成させたとか。
この時延々と描かれた物語は、お蔵入りとなった幻の展開となりました。
彼のこの母親に対する愛情は、並々ならないものがありますよね。少なくとも私はそこまではいかない。私ももちろん母はかけがえのない存在で、彼女が自分と違う思想(クリスチャン)だという事実を到底受け入れない時期がとても長く続きました。しかし、同時に私は『マザコン』という概念も知っていますから、強く意識して距離を空けているし、無意識にその方向に揺らぐこともありません。
オーストリアの哲学者であるフロイトは、『エディプスコンプレックス』について提唱しました。
男は皆エディプスコンプレックスを持っているものだと。それで言うと私はそのコンプレックスを持つ自分を客観視してそこに恥を覚え、海外で『ママ』と堂々と言う人達や、宮崎駿のように母親を強く愛し続ける人々は、マザコンやエディコンに支配されずに率直に自分を愛して育ててくれた母に対して、深い愛情を持ち続けているように見えます。どちらが人間として自然なのか、考えさせられるワンシーンです。
『ラピュタ』のパートにも書いたロリコンもそうですね。そういう『誰かが決めた概念』に支配されない自由な愛情表現が、最低限の常識的なルールを守って展開される。それもジブリ作品の特徴であるように見えます。
-水戸黄門
wikipediaにはこうあります。
本作は、ストーリーの起承転結が明確になっておらず、ほとんど伏線が存在しない。天変地異が起こっても詳しく理由が説明されることなく、全体的に消化不良のまま物語が収束するなど「スピード感と勢い」を重視しており、ファンタジーと現実社会が入り混じったストーリー構成となっている。この点について、宮崎は
「ルールが何にも分からなくても分かる映画を作ろうと思った」
「順番通り描いてくと、とても収まらないから思い切ってすっ飛ばした」
「出会って事件が起きて、小山があって、最後に大山があってハッピーエンドというパターンをずっとやってくと腐ってくる、こういうものは捨てなきゃいけない」
と話している。
この話の背景には、『つじつま合わせ』という実態も隠されていたんですね。そういう風に、自分の頭の中で想像したことを優先して生きている人ですから、リアルのことは全部鈴木さんなんかに任せないと成立しないことが多いんですね。
ある時宮崎駿は、記者かなにかに『自分が天才だと思いますか?』と言われたとき、笑いながらこう言いました。
宮崎駿
『風立ちぬ』
『風立ちぬ』でなぜ主人公の声を『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』で有名な庵野秀明(あんのひであき)が務めたか知っているでしょうか。そう。これもあの男の一言が関係しているのです。
宮崎駿はあまり多くを語らない人です。あるとき『風立ちぬ』の製作現場を映したある映像に、宮崎駿が『多くを語らない理由』が垣間見えるシーンがありました。スタッフの一人が主人公の声優のイメージを発言したのですが、作者である宮崎駿が抱いていた主人公の印象とは、全く別のものだったときのやりとりです。
スタッフ
宮崎駿
スタッフ
宮崎駿
ハキハキと会議を進めるそのスタッフ『やり手』なように見えました。しかしそんなスタッフでも追いつかない。それが宮崎駿の頭の中ということです。普通、やり手のスタッフが作品のキャラクターの人物像を間違えますか?彼の長編アニメ作品は20もないわけです。キャラクターを追いかけることもそう難しくはないでしょう。しかし、普通に考えていては把握できない。それが彼の描く世界観なのです。
そのあたりのことについては下記の記事に更に詳しくまとめましたが、難しすぎるので飛ばしてもらっても構いません。
実はこのシーンの時、声優を決める話になって悩んでいる時、ふと鈴木さんが庵野さんの名前を出しました。先ほどのような人物像に、彼は相応しいんです。口数が少なく、うなづくことは多いが、わかっているのかどうかはわからない。しかし、たまに空いた間に挟み込む一言が、すべて的を射ている。こういうことができるのは賢い人だけ。
宮崎駿は、そんな庵野さんのポテンシャルと二郎の性格とを繋げて考えた時、最初は少し笑ったように見えましたが、すぐに悩みだし、
宮崎駿
しばらくするともう庵野さんに決まっていました。声優経験のない彼のことですからもちろん頭を抱えた彼でしたが、『宮さんの言うことだから』と熱い師弟関係を見せてくれ、彼に声優が決定したのです。彼の配役には色々な意見がありますが、その裏話を知ると、見る目が変わるかもしれません。
宮崎駿の思想の一部を除いてみましょう。宮崎駿のwikipediaにはこうあります。
著名なミリタリーマニアである一方、現実の戦争行為には断固として反対している。大学時代には「戦争がいかに経済的に不合理であるか」という経済学の講義に感銘を受け、収集していた軍事関係の書籍を全て捨てた経験もある。
彼は『風立ちぬ』のような作品を作るとき、もちろんそれがどういう風当たりを生むかということをよく理解して作りました。詳しくはwikipediaに載っています。それが全容でなくても、確かなコメントが切り取られているので、一つの参考になります。
半藤一利の著書、『昭和史』には、この『戦争』があった昭和の時代について書かれている。著者は、40年単位で移り変わる日本の情勢を分析し、昭和という時代をこうまとめた。
『日露戦争直前の、いや日清戦争前の日本に戻った。つまり50年間の営々辛苦は無に帰したのです。昭和史とは、その無になる為の過程であったといえるようです。』
この半藤一利という人物はとても有名な識者で、下記のような昭和天皇を描いた漫画に携わったり、
Manga:info
『日本のいちばん長い日』という名作映画の監修を務めるほどの人物。元々これは彼の作品でもあります。
1945年『戦争の降伏には本当に全員が賛同したのか』
Movie:info
この『昭和史』は、六本木ヒルズでやっていた『ジブリ博覧会』にも飾ってありました。スタジオジブリとこの本、そして半藤一利という識者が訴えた『日清、日露で傲岸不遜に陥り、帝国主義の落とし穴に堕ちた日本の失態と、戦争という愚かで残酷な現実の虚しくも馬鹿馬鹿しい無意味さ』という主張・考え方は、宮崎駿を含めたジブリの要人たちの心と、共鳴しているのです。
抵抗しなければ侵略されていた事実もありますけどね。
宮崎駿らが生きた時代、大きく影響を受けた歴史のおさらいとして、最低でも下記の記事は読んでおきたいところです。
アインシュタインらとも親交があった、イギリスの哲学者、ラッセルはこう言いました。
私の考え方に関しては、私が以下の記事を作ったことを考えれば見えてくるはずです。
『かぐや姫の物語』
『かぐや姫の物語』は、日本のアニメ映画としては破格ともいえる、企画開始から8年の歳月と50億円を超える製作費が投じられた、高畑勲の魂の遺作です。『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあるように、日本最古の物語といわれるこの作品を、クリエーターの彼が命を懸けて選んだというところに、ある種の感慨を覚えます。
実は私は、この作品を最初に観た時、ラストシーンが全く意味がわかりませんでした。それまでほとんど3時間、長い時間をかけてかぐや姫の感受性豊かな物語を見続けていましたから、最後に急にあの展開になって、目を丸くして終わりました。
かぐや姫は、最後に月から迎えがきて月に帰っていきますよね。そこには『仏教』のような世界観がいっぱいに広がっていて、『極楽』なんたらというキーワードが頭にちらつくような、そういう世界観が展開されます。
私はその頃、宗教を自分の人生から遠ざけていましたから、それだけで抵抗感があったし、かぐや姫が最後に育ての親たちを一切振り返らずに、手も降らずに、無表情で月に帰ったシーンから感じたのは、『虚無』に等しい、謎の感覚でした。
このことについてwikipediaにはこうあります。
姫を迎える天人たちの一行が雲に乗って訪れる。天人は守りを固めていた者たちを未知の力で眠らせた。さらに、姫の正気を失わせ、その体を雲の上に招き寄せる。
そして、『羽衣を着せられ、姫は一行とともに去っていく』と続く。こう見ると、その者たちに特別な能力があり、そのせいでかぐや姫は正気と記憶を失い、振り返らなかったのだということが頭をよぎります。私もその時、この説明を聞いていれば腑に落ちたかもしれません。
しかし、私はその後、、儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦(ブッダ)』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』、道教の創案者『老子』、イスラム教の開祖『ムハンマド』、また、キング牧師や、 ダライ・ラマ14世に大きな影響を与えたヒンズー教の指導者『ガンジー』らはもちろん、アインシュタインやエジソン、ニーチェや松下幸之助等、この地球を生きて名を遺したあらゆる偉人たちの名言や教えと向き合う時間を設けました。
例えばキリスト教の7つの大罪は、
- 傲慢
- 強欲
- 暴食
- 色欲
- 嫉妬
- 怠惰
- 憤怒
が挙げられるわけです、これらの共通点はみんな『欲望を暴走させた結果』です。
孔子が定めた『罪』は、『利己』。
ソクラテスは、『無知』。
ブッダは、『執着』。
キリストは『罪』です。
キリストの罪の定義が『罪』といいうのはどういうことかというと、罪という言葉は、紐解くとヘブライ語で『的を取り違える。的を外す。』という言葉に辿り着くようになっている。つまり、7つの大罪でも挙げたように、『欲望の持っていき方を間違える』ことこそ、キリスト教の教える『罪』ということになるのです。
そこでまずすぐに思いつくのは、かぐや姫の物語で最後に登場するこの『月の使い』が、仏教的な世界観で作られているということです。となると、彼ら仏教徒が最も『人間らしい』と考えているのが『執着』。こう考えた時、かぐや姫のあの最後って、『執着を捨てた(人間の世界で生きる人間をもうやめた)』様子にも見えますよね。
ただ、超能力的な力で記憶を消した、ということでもいいのですが、彼らが仏教的な様相を持っていることを無視できません。結果そういう力が羽衣にあったり、彼らにあったとしても、『人間は執着をする生き物で、執着は全ての諸悪の根源でもあり、罪深い欲望の持っていき方なんだよ』という教えが、これらの行為の暗に潜んでいたと考えても辻褄が合います。
この物語が誕生した可能性がある時代から近い729年、『長屋王』という政治家的なリーダーがいました。しかしその長屋王は国家を傾けようとする疑いをかけられ、自害に追い込まれた。実は、この『長屋王の変』はこの藤原四子の策略だったといいます。彼らは聖武天皇の妻であった異母妹の光明子を皇后にし、皇族以外の皇族を初めてこの国に打ち立てます。しかし、737年、天然痘の流行で全員が亡くなってしまうという不幸がおき、人々はこれを『長屋王の祟り』と噂したのです。
この窮地に聖武天皇が救いを求めたのは『仏教』だったのです。この背景にあったのは『鎮護国家(ちんごこっか)』という、仏の力を借りて国家を守る思想でした。皆さんがよく知る『奈良の大仏』も、この時に作られました。
[盧舎那仏像(大仏、国宝) 著者撮影]
まだあります。それから数十年後の『794(なくよ)ウグイス平安京』。794年のことでした。そこに移る前にいくつかゴタゴタがありました。まず、桓武天皇は『長岡京』に遷都します。しかし、ここは水害の問題や、関係者(藤原種次)の暗殺があり、造営の続行が困難となる。そして、より淀川の上流にある平安京に移ったのです。
実は、長岡京で藤原種次が暗殺されたとき、皇太子の早良親王の関与が疑われ、天皇は彼を配流。親王は無実を訴えたが、無念のまま命を絶った。
流罪(るざい)とも言う。刑罰の一つで、罪人を辺境や島に送る追放刑である。
すると、天皇の夫人や生母、皇后らが相次いで死去し、疫病、洪水といった不幸が続き、明らかに『親王の祟り』としか思えない出来事が頻発。それに怯えた天皇が、長岡京から平安京へと移したのです。そして、『平和が続くように』と祈られ、『平安京』と名付けられました。
何が言いたいかと言うと、『かぐや姫の物語』が誕生したあたりの時代は、こんな風に『祟り、呪い』という今では鼻で笑う人がいるぐらい胡散臭い実態を完全に信じ切っていたのです。それくらい、知識も経験もなかった。確証もなかった。だから物事を見誤ることが圧倒的に多く、国家のトップにいるような人間であっても、簡単に無意味な行動を取った。
では、その時代に『超能力』という謎の設定が生まれるでしょうか。ぽんっと触ると記憶が消える。こういう話は今でこそ簡単に受け入れられますが、祟りや呪いを本気で信じるような時代に、そういう柔軟性のある面白い話が生まれるようには思えません。
いやもちろん、私は下記の記事等で神話についても学びましたから、宗教が生まれるもっと前の人間たちが『自由な発想で神話を生む』ことも知っています。元々人間は想像力豊かですからね。何が起きてもおかしくはありません。
ただ私は、この時代に強く浸透していたものが、クリエーターの作るものにも影響したと考えたのです(先ほどの尾田栄一郎の記事もそういう内容です)。
さて、そのあたりの真偽はさておき、ここではそういう背景を基にした一つの解釈として、考えていきましょう。
たしかに、執着さえなければ、この世の一切の『悩み、憂い、嘆き、不愉快』から解放される。このことについては、ブッダのリンクをたどって記事を見ていただければ、更に詳細を紐解いています。例えば『手塚治虫のブッダ』では、ある少年が、動物に食い殺されるシーンがある。それを見てまだブッダ(悟を開いた者)となる前の釈迦は、慟哭します。
悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。
その姿は、とても人間らしい。さっきまで自分の友人として話していた人間が、目の前で腹を空かせた動物たちに食いちぎられているシーンを見て何も思わない人間は、あまり人間には見えませんよね。
しかし、ここからが仏教の真髄です。少年は、釈迦よりも先にブッダに近い境地にありました。彼の顔はとても穏やかです。なぜなら彼は、『この世界の摂理』に気づいたからなのです。
ブッダの境地というのは、この世の真理を見極めた境地です。人は、どうせ死ぬのです。そして死ぬのは人間だけじゃない。動物や虫、草木も同じようにこの世に生まれ、そして命の日数を終えた後、この世を去ります。しかし、ただ去るだけじゃない。去った後、あるいは去るときには、他の生命の種となり、肥やしとなる。すべては循環しているのです。
動物が死んだら、小動物がその死骸を食べ、小動物が死んだら、昆虫がその死骸を食べます。彼らがした糞を餌にする生命もあれば、それを土壌にしてすくすく育つ草木がある。その草木が木の実を成らせ、それを鳥や小動物が食べる。草木は人間が出す二酸化炭素を吸って酸素を生み出し、オゾン層を作って太陽の紫外線から地球を守る。雨雲を作る。その雨雲が雨を降らせば、多くの生き物は命を潤すことができる。
ブッダは後にこう言います。
そこで慟哭するということは、釈迦は彼が好きだった。彼に死んでほしくなかった。そして、『彼以外の存在、例えばその動物たちの命はどうでもよかった』。人間が何かを好きになり、何かを嫌いになることは当然で、それはとても人間らしくもある。しかし、そうして生まれたエゴがやがて執着を生み、
その人は死んでも涙を流さないが、その人だけは死んでほしくない
という差別的な発想を持つようになります。人間は、自分たちの利便性が向上するためには道路を埋め立てる際に、多くの虫の命が失われてもなんとも思いません。鶏、牛、豚、彼らの命が失われるのは当然だと思っています。彼らの肉体は引き裂かれ、焼かれ、蒸され、我々の食事となるものだと決めつけています。
少年は、そうした人間の『執着』は『罪』だと悟っていました。自分の体が食べられることを嘆き、哀しみ、恐れることは自分本位であり、真理に逆らった行為だと知っていたから、彼の心は穏やかだったのです。
私はこうした話を学んだ後に、たまたまテレビでやっていた『かぐや姫の物語』をまた観てみました。すると、一度目に映画館で観た時とは全く違って、この映画の奥深さを知ると同時に、更に深い境地を知っていた私は、
当時日本には、仏教が強く広がっていたんだよなあ。
という、『当時の人々の強いられた(自然に送っていた)生活』を想像しながら、その時に作られたであろうこの日本最古の物語を、『物語として』余裕を持って、受け入れることができました。
最後にかぐや姫は我に返ったようにして地球を振り向きます。私はこのように仏教的要素と絡めて作品を観ましたから、この最後のシーンには感慨を覚えましたね。
心に深く感じて、しみじみとした気持ちになること。
執着は罪、人間界は汚らわしい世界。しかし、そういう混沌とした矛盾だらけの罪深い人間時代にも、笑顔で笑いあって幸せだった時間があった。
その人間としての忘れられない幸福を大切にして何が悪いと、あの優しかった両親のことを想い、彼らと共に過ごしたかけがえのない時間を愛して、何が悪いのかと、彼女の心底の声が、彼女を我に返らせた(人間であることを正当化させた)シーンに見えたからです。
人間としての何らかの矜持が、彼女に覆いかぶさっていた力を超越し、躍動したように見えたからです。
誇り。プライド。
最後に
いかがだったでしょうか!こうした裏話やジブリに与えた歴史的背景などを知ると、作品がまた違った顔を見せますよね。そういう風に、子供の頃は雰囲気だけを楽しんで、大人になったらまた違う角度から見て楽しむことができる。これがジブリ映画の最大の魅力だと言えるでしょう。これから先まだまだ追記していきますよ!日本が世界に誇るスタジオジブリの世界を、もっともっと愛していきましょう!